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4月24日
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内田樹さんの「下流志向」を読みました。内田さんのブログは時々覗いておりますが、実のところ著書を読んだのは初めてです。

現在の日本社会の閉塞状況について、具体的で鋭い分析と示唆に富んだ問題意識を喚起する優れた内容でした。

キーワードは、『市場原理の普及が生んだ「等価交換」の意識が広まったことによって、なにが引き起こされているか』です。

一見、「ああ、そんなことは誰もが指摘しているよ」と思うかもしれません。

しかし、この本が具体的に示す症例は、学級崩壊から、自己責任論、外交問題、ニート等労働の質の劣化に及び、

それらの問題への、今までにない(少なくとも私には)より深い視点から、これらの問題へのアプローチの概念が得られます。

内田さんが文庫本一冊に厳選した言葉で詰め込まれた内容を、ここ十数行で要約する頭脳を私は持っておりませんが、

「これだけ働いた(勉強した・金を払った)んだから、それなりの賃金(有用な成果)をもらわなければおかしい」という言葉に

囚われることのマイナス面について、私も注視していきたいと、自戒をこめて思いました。

 

といっても、これでは、まったくこの本の魅力が伝わらないと思うので、ほんの一部を抜粋してみます。

ー*ー*ー*ー*ー

『学びというのは、自分が学んだことの意味や価値が理解できるような主体を構築していく生成的な行程です。

学び終えた時点ではじめて自分が何を学んだのかを理解するレベルに達する。そういうダイナミックなプロセスです。

(略)

知性とは、詮ずるところ、自分自身を時間の流れの中に置いて、自分自身の変化を勘定に入れることです。

ですから、それを逆にすると「無知」の定義も得られます。

無知とは時間の中で自分自身も変化するということを勘定に入れることができない思考のことです。

(略)

教育を「苦役と成果」「貨幣と商品」「投資と回収」というビジネス・モデルで考察する限り、(略)消費主体は時間の中で変化しない。

(略)

人間が教育を通じて身につける最良の資質というのはそういう力なんです。時間が経過するにつれて、さまざまな経験を取込んで、

自分自身を向上させていく能力、教育の目標はそれを習得させることに尽きると僕は思っています。

(略)

学ぶことの意味を知らない人間は、労働することの意味もわからない。』

(内田樹著 「下流志向」 講談社文庫 第3章 労働からの逃走より)